天理教の教え①陽気ぐらし(ようきぐらし)を解りやすく解説!

天理教 本部画像3 天理教の教え

天理教の信仰の目的となるのが、陽気ぐらし(ようきぐらし)という教えです。

陽気暮らしとは、読んで字のごとく

陽気に暮らす」という事です。

では、天理教で陽気ぐらしというのはどのようなものなのでしょうか。

またそもそも陽気というのはどこまでのことを指す言葉なのか?

今回は、天理教の信仰の目的ともなる【陽気ぐらしの教え】についてわかりやすく解説していきます。

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そもそも陽気ぐらしってなに?

 

親神様・天理王命(おやがみ・てんりおうのみこと)は、

「人間が互いに助け合い、陽気に暮らす姿を見て共に楽しみたい。」

という思いから人間と自然界をお造りになられました。

陽気ぐらしというのは、天理教では、人間の生存目的となっています。

そもそも、陽気な事が嫌な人はほとんどいないと思います。

誰しもやっぱり楽しく過ごすことが1番ですし、みんなが求めている事です。

そもそも、陽気ぐらしとは、自分の好きな事だけをやり、自分が楽んでいればいい。」という意味ではありません。

天理教の陽気ぐらしとは、

自己中心的で、自分勝手な心を無くし、まわりの人達の為に心を使って、互いに助け合いながら、前向きに楽しんで暮らす。

というような意味です。

天理教の本に「おさしづ」という教祖が書かれたものがあります。

その中にも、

神が連れて通る陽気と、めんめん勝手の陽気とある。

勝手の陽気は通るに通れん。

めんめん楽しんで、後々の者苦しませるようでは、

本当の陽気とは言えん。

とあります。

わかりやすく言うと、

真実の陽気と自分勝手の陽気とある。

自分勝手な陽気は結局うまくいきようがない。

自分達だけ楽しんで、他の人や後人を苦しませるようでは、

本当の陽気とは言えない。

すごく当たり前の事のように聞こえますよね。

でも、天理教の教えの根本的な所というのは、これぐらい、

誰が聞いてもわかる事を当たり前に教えていただいているだけだと、私は思っています。

しかし、当たり前に頭ではわかっている事だから難しかったりします。

あなたは普段どうでしょうか?

自分の欲や目の前の快楽の為に自分勝手になっていないでしょうか?

なかなか、意識せずに完璧にこなしていくことなんてできないと思います。

偉そうに、こんな事を書いている私も同じです。笑

自分勝手な考えで行動して、失敗して気付かされる事ばかりです。

しかし、心の隅にでも少しだけ、

この「陽気ぐらし」という言葉をもっているだけでも違うな。という事は確かだと思います。

それは、自分の無意識に気づく事で、他者への感謝が生まれるからなのかな。

と思わせて頂いています。

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当たり前のように目の前にあることが有り難い

神様は、「人間が陽気ぐらしをする姿を見て共に楽しみたい」とこの世に人間をお造りになられました。

そして、自然界があるからこそ人間は生きていられます。

私達は、何故生まれてきたのでしょうか?

物事には、存在する全てに意味があります。

天理教では、神様はこの世にいらない物は造っていないと教えて頂いています。

私達も、太陽、空気、水、これらが無いと生きていけません。

しかし、一見自分から見たら必要無い物に見えても、実は何かに必要な物であったりします。

この世に存在する全ての物には存在する意味があります。

では、私達は何の為に生まれて、どういう生き方をする為に生まれてきたのでしょうか?

「陽気ぐらし」の陽気という心の使い方は、今与えて頂いている物事に感謝する・喜ばせてもらうという意味があります。

わかりやすく言うと、神様はこの世にいらないものはお造りになっていないと教えてもらっていますから、

あとは、私達が今ある物をどうやって楽しく使わせてもらうか。

という、自分の気持ちの問題になってくるという事です。

肝心なのは、感謝し、喜ばせてもらいながら使わせてもらうという事です。

お酒が好きなら、

飲める身体や美味しいお酒があることに感謝しながら。

スポーツが好きなら、

動ける身体があることや練習したり実際にパフォーマンスが出来る環境に感謝しながら。

ということです。

しかし、

どんな事でも、自分の身体を壊したり、人に危害を加えるような使い方をしていては意味がありませんよね。

好きなことだからこそ、自分で気持ちをコントロールしなくてはいけません。

結局は自分の心の使い方次第という事ですが、今ある物に感謝する・喜ばせてもらうという気持ちを持つことが1番大切で、

そういう気持ちになれることで、今まで喜べなかったことが喜べるようになってくる、日々の生活の中で喜びが増えてくる。

こういう気持ちになること、こういう姿が、本当の意味での陽気ぐらしの第一歩ということなんではないでしょうか。

難しいのは困った時にどう考えられるか

 

自分がうまくいってる時にいちど振り返ってみて、

今ある・与えてもらっている物事や環境に感謝するというのはとても大切な事だと思います。

それは、しっかり自分の足を地面に着け直すという意味でもとても重要な事だと思います。

しかし、反対に本当に何をやっても上手くいかない時というのも誰にでもあります。

その時にどう考えられるかというのが1番難しいんじゃないかなと私は思います。

困った時・苦しい時に果たしてそれさえも感謝することができるのか。

きっと考え方的にはすごくシンプルで、実際物事の良し悪しというのは関係なくて(そもそも悪いことをしている場合は別ですが)

今、【自分が置かれている状況をどう捉えるか】ということだけなんだと思います。

でも、そんなに切り替えられる人なんてほとんどいませんよね。

上手くいかない時なんて、

気分が良くないですし、イライラしたり不安になってしまいます。

だからこそ、心の片隅に「陽気ぐらし」・「今与えられている事に感謝」

という言葉を置いておくことだけでも大事になってくるのではないでしょうか。

よくよく考えてみれば、上手くいかない時でも、

とりあえず落ち込んで、時間が経って気持ちが落ち着いて、すこしづつまた動き出していくことによって解決していくことが多いような気がします。

結局、自分で気持ちの整理をして今立っている所から、

「まずはどうやって進んでいけばいいのか?」

ということを考えられるようになれれば物事は自然と進んでいくということですよね。

何かにぶつかった時というのは、更に成長する為や、方向転換する為の神様からのメッセージなのかもしれませんね。

難題にぶつかる事で考え方が変わったり、成長することができるそのタイミングで、その難題にぶつかる為に、

いつも上手くいくことも上手くいかなくなってくる。

なんだか、難題にぶつかれるように導かれている気がします。

そういう時に陽気な心で、

【辛く苦しい事が起きてきた時こそ、感謝の気持ちをもって通らせてもらう】

というのは、常人ではなかなか難しいことですが

そういう気持ちに近づいていくことが大事なんだな。と感じて、

心に留めておくことは誰にでもできることなので、日々忘れないようにしていかなくてはいけないなと、考えさせて頂いております。

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陽気ぐらしまとめ

陽気ぐらしというのは、

「せかいいちれつ陽気ぐらし」という天理教の教えの究極の目的です。

180年以上続く天理教の究極の目的ですから、簡単そうでこれほど難しいことはないと思います。

しかし、考え方や意味自体は何も難しいことはなく、当たり前のことです。

感謝や喜びの心というのは本当に素晴らしいですし、誰もが幸せになるために必要なことです。

しかし、それでさえも忘れがちになってしまうのが人間だったりします。

「もっとこうしてくれたらいいのに。」

「なんでこんなこともできないんだ。」

など、今ある現状を当たり前に感じてしまうと本当に良くないことばかりですね。

だからこそ、心の片隅に日々感謝。

毎日陽気に過ごさせてもらおうという気持ちをもって、あなたの明日が少しでも良くなる事を祈っています。

自分の中で育てていく「陽気づくめ」

天理教には、もうひとつ「陽気づくめ」というお言葉があります。

これは、ひとりひとりが天理教を信仰していく中で、

何を見ても何を聞いても喜びづくめである】

という心の使い方を教えて頂いたものです。

これは、ひとりの努力によって味わえる、見えてくる世界なんだと教えてもらっています。

  • 今まで喜べなかったことが喜べるようになってくる
  • 日々の生活の中で喜びが増えてくる。

こういう気持ちになること、こういう姿が、本当の意味での陽気づくめということなのかなと思います。

また、ひとりひとりのこういう気持ちの積み重ねで陽気ぐらしという世界に近づいていくのではないでしょうか。

最後まで御覧頂き、ありがとうございました。

にちにちに、心つくしたものだねを
神がたしかにうけとりている

しんじつに神のうけとるものだねわ
いつになりてもくさるめわなし

たんたんとこのものだねがはへたなら
これまつだいのこふきなるぞや

 

日々、自分が人を想い心を尽くした事(種)は
目には見えないが、神が確かに受け取っている

神が受け取った誠・真実の想い(種)は
何年経とうが腐らず残り続けている

段々と、旬が訪れ、この誠・真実(種)から芽が出てきたなら
これこそが先祖代々の宝となっていく

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