天理教の教え⑥足納(たんのう)をわかりやすく解説!

天理教Labo 01 天理教の教え

今回は、天理教の教えの中から足納(たんのう)について、天理教を知らない方に向けて、わかりやすく解説をしていきたいと思います。

天理教のお話を聞いていく中で、この足納(たんのう)というキーワードは本当によく出てくると思います。

しかし、この【たんのう】という教えは、私は最も究極の境地なんじゃないかなと考えています。

また、この足納(たんのう)という意味を理解する事で、自分の今までの行動や、心の使い方を見直す機会にもなるかなと思いますので、最後までご覧頂ければと思います。

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足納(たんのう)って何?

【たんのう】という言葉は、普段使う言葉の中にもありますよね。

【堪能】という字を書きます。

技能の長けること。
十分満足すること・みちること・あきたりること

彼は、スポーツ堪能です。や、お腹いっぱいお料理を堪能しました。などの時に使われます。

天理教の、たんのうという言葉は少し違います。

天理教の【たんのう】という言葉は、漢字で、【足納】と書きます。

【足り(たり)】・【納める(おさめる)】と書いて【たんのう】と読みます。

成ってくる理(り)を喜んで通らせてもらう
成ってくる理(り)を心に納める

成ってくる?理(り)?喜ぶ?納める?となってしまうと思いますので、わかりやすく解説していきます!

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身上・事情は親神様のお知らせ

天理教のたんのうという教えは、基本的に辛いことや悲しいことが形に現れてきた時に使われることが多いと思います。

あなたは、自分に辛いこと・悲しいことが起きた時にどう考えるでしょうか?

天理教の教えの【ほこり】や、【身上・事情】でもお話させて頂きましたが、親神様は子供(人間)を可愛い親心で御守護して下さっています。

自分達が痛い目にあってしまうのも、病気になってしまうのも、私達の心の使い方が間違っていることを、その身上・事情を通して教えて下さっています。

苦労することで、今まで気づけなかった事に気づかせ、心を入れ替えて陽気に、幸せに導いて下さっているということですね。

ですから、何故、自分はこうなってしまったのか。

それは、間違いなく自分の心の使い方に原因があります。

また、前生(ぜんしょう)の持ち越してきたいんねん(借金)が今、形に現れてきているという事もあります。

形に現れてくることによって、苦労したり不自由になります。

しかし、その気持ちや経験を通さなければ気づかないことがあるからこそ成ってきているわけです。

そして、この成ってきた姿というものを素直に心に納めて喜んで通っていくという姿を、

【足納】と教えて頂いています。

足納は、我慢・忍耐・辛抱とは違う!

それなら、この辛い状況・悲しい現実をなんとか耐え抜けばいいのか。

と、解釈してしまう方もいらっしゃいますが、それはかなり間違っています。

天理教のたんのうという教えは、決して「我慢」「忍耐」「辛抱」という言葉とは意味が違ってきます。

むしろ、正反対の意味こそ足納という事なのかもしれません。

私達は、嬉しいこと・幸せな事が起こってきた時には自然と喜べると思います。

頑張ってよかった!
神様有難うございます!
周りのみんなに感謝です!
この気持ちを忘れず、心に刻んでおきます!

このように、沢山の喜びの気持ちが湧いてくると思います。

自分にとって、良い事でも、辛いことであっても、同じ親神様からの親心です。

つまり、理屈は同じなので、あなたは、辛いこと・悲しいことが現れてきた時に、

どれだけ、幸せな時と同じ様に感謝させていただけるでしょうか?

というのが、天理教の足納という教えの、考え方になってきます。

ですから、我慢したり、辛抱したり、忍耐という気持ちとは全然違うということですね。

そして、このたんのうという教えは、とてつもなく深く、難しいことであることもわかります。

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前生の持ち越しのいんねんを、たんのうする事が最も難儀である!

天理教の教えでは、身体を貸して頂きながら、魂は生き通しであります。

ですから、前生(ぜんしょう)があったわけです。

つまり、みんな、前の世があったという事ですね。

ですから、当然、前の世で、良い心も悪い心も使っているはずです。

しかし、自分で積んだほこりを払わずに亡くなってしまった場合、どうなるのでしょうか?

答えは、次の世に持ち越すという事です。

持ち越したほこりや徳は、前世のいんねんとなって、今生で形に現れてきます。

前生の持ち越しのいんねん(借金)と説明しましたが、これは、良い場合も同じですね。

良い【いんねん】→貯金のようなもの
悪い【いんねん】→借金のようなもの

みんなそれぞれ、目にも見えませんし、覚えもないですが、

良い【いんねん】も悪い【いんねん】も持ち合わせているんですね。

持ち越しの良い【いんねん】(貯金)があれば、自分の大事なタイミングで神様が引き出して与えてくれるというような感じです。

奇跡が起きた!
本当に運が良かった!
あの時に運命が変わった!

こんなに嬉しいことはないですし、あなたも感じたことがあると思います。

前生の持ち越しであれば理由はわかりませんから奇跡の様に感じますが、これも自分が前の世で蒔いた良い種が生えてきたという事なんですね。

反対に、持ち越しの悪い【いんねん】(借金)があれば、当然、支払いのタイミングで、支払いをしなくてはならなくなります。

良い時は、何の問題も無いと思います。

とても有り難い。と喜ばせていただくことが出来ますよね。

しかし、今生(こんしょう)で見に覚えがないのに、辛く苦しいことが現れたらどうでしょうか?

あんなに良い人がなんで病気に・・・。
あんな優しい人がなぜ・・・。
あんなに信仰一筋だった人がなぜあんな酷い目に合うのか?

なんて言う事は、かなり身近でも起こってくる事だと思います。

これこそが、前生の持ち越しのいんねんが現れてきたということです。

また、現れてきた、身上・事情が3ヶ月以内で治まっていくならば、今生で積んだ事が形に現れている。

3ヶ月以上治まらないのであれば、前世に積んだ事が現れていると教えて頂いております。

ですが、これも私達の為に、形に現してもらっているのです。

借金であれば、当然返さなくてはいけません。

また、少しでも返す(乗り越える)ことによって少なくなります。

自分で借りた物は自分で返さなくては、何もわかりませんし成長もしません。

そして、前世のいんねんで辛いことが形に現れてきた時に、どう足納させてもらうことが出来るのかということがとても大切になってきます。

良い事が起こってきた時と同じ様に喜ばせてもらうことができるでしょうか?

これは、とても難儀であります。めっちゃ難しい事です。

誰だって、嫌なことがあれば、誰かのせいにしたくなりますし、苦しいことには目を背けたくなります。

そんな中、逆に有り難いなんていう言葉を使っているのは、ちょっと頭がおかしくなってしまったんじゃないかなと思われてしまうかもしれません。

でも、自分のいんねんの自覚や、かしものかりものという意味、生かされていることへの感謝など、偉大な先生方は本当の意味での【たんのう】という境地に立たれていました。

それがどれほどすごいのか。少しわかってもらえたかと思います。

天理教の教え⑥足納(たんのう)まとめ

自分なりに勉強すればするほど、私は【たんのう】という言葉は軽はずみに使えないなと思ってしまいました。笑

感じ方や心の納めかたは人それぞれだと思うので、あくまでも私の思いということです。

そして、自分に苦しいこと・悲しいことが起こってきた時に、改めて【足納】という言葉を考えてみても、なかなか簡単なことではありません。笑

不足の心ばかりで、成ってくる理を喜んで通らせてもらうなんてことは、自分の事になればなるほど難しいと思います。

もちろん、もっともっと良い心の使い方をしていけば、気づかせてもらえるのだと思いますし、

難しく考えているから難しくなっていくような気もします。

結局、まだまだだなと、感じさせてもらってばかりですが、最初から出来る人もいないと思いますし、自分らしく成長していければ有り難いなと思います。

最後まで御覧頂き、ありがとうございました。

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