天理教の教え④見上・事情(みじょう・じじょう)を解りやすく解説!

天理教の教え

今回は、天理教の教えの中から【見上・事情】(みじょう・じじょう) について、天理教を知らない方に向けて、わかりやすく解説をしていきたいと思います。

天理教のお話を聞いていく中で、この【見上・事情】というキーワードもとても大事になってくるキーワードです。

また、この【見上・事情】という意味を理解する事で、自分の今までの行動や、心の使い方を見直す機会にもなるかなと思いますので、最後までご覧頂ければと思います。

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見上(みじょう)って何?

見上(みじょう)とは、身体に現れてくる、神様からのお知らせの事だと思って頂ければいいと思います。

天理教の教え③【ほこり】でも、お話させて頂きましたが、人間は、心だけは自分のものであります。

その心の使い方通りに、貸して頂いている道具に形として現れてくる。

鉄の道具を借りた場合に、部屋で保管していれば、綺麗に保てますが、外で雨ざらしにしていれば、すぐに錆び付いてしまいます。

この様に、形は違えど理屈は同じ様に、自分の心以外は神様からのかりものでありますから、自分の身体も、神様にお借りしている道具ということですね。

天理教では、病気やけがなどの場合に「身上を与えて頂いた」などと言います。

なので、身上=病気という使い方があります。

しかし、本来は悪い意味のことばかりではなく、健康な体を、ご守護をもって日々お貸し頂いているという、感謝・喜びの心が込められているのが「身上」というお言葉です。

当然、自分の身体もかりものですから、自分の心の使い方が悪ければ、その悪い使い方の通りに身体も悪くなります。

見上(みじょう)というのは、今現在の、自分の身体に現れている状態の事を指すお言葉になります。

事情(じじょう)って何?

事情(じじょう)とは、読んで、字の如く、様々な事情が出てくるという事です。

事情(じじょう)も、身上(みじょう)と同様に、自分の心の使い方通りに、形になって現れてくるという事ですね。

生活上のさまざまな悩み・問題が事情にあたります。

「事情」とは一般に、事のありさまや、様子という意味です。

天理教では、私達の身の回りの出来事全般について「事情」という言葉を使います。

特に、家庭のもめごと、仕事上の不都合、災害といった、いわゆる「人間関係のもつれ」や「生活上の悩み」のことを「事情」という場合が多いと思います。

「事情」もまた自分の心の使い方通りの結果を、親神様によって与えられ、見せて頂いているものです。

また、【身上】の【事情】というお言葉もあるので、身上(病気など)も事情の中のひとつであるという事でもあります。

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身上・事情はバチが当たったということなのか?

病気になったり、ゲガをしたり、人間関係でこじれてモメてしまったり、喧嘩をしてしまったり。

実生活では、自分の心の使い方次第で良くも悪くも様々な事情が起こってきます。

では、自分の心の使い方が悪いから病気になってしまうのか?

自分の心の使い方が悪いから喧嘩をしてしまうのか?

何か、目の前に起きてくる時は、自分の心の使い方が悪かったから、その罰ということなのか?

と思う方もいると思います。

しかし、天理教の教えでは、人間に罰を与えるということは一切ありません。

反対に、神様の親心で、当たり前のことが当たり前に形に現れてきているということです。

少し詳しく考えてみましょう。

天理教の目的は「陽気ぐらしの世界」です。

全ての人間が、自己中心的な考えをなくし、人を想い、互いに助け合える世界です。

そんな心遣いが出来るように、神様が教えて下さった生き方・心の使い方をしていくことが大切になってきます。

天理教の教典には、「手引き」という項目があります。

「てびき」とは、親が、子供を導くときに、手を引いていく様子でありますが、まさにこの身上・事情というものは神様の手引きなんだと思います。

陽気ぐらしの心に向かって、進んでいく道を間違えた時、悪い心の使い方をしてしまった時に、病気や何か悪い事情が出てきて、このままでは良くないと教えて下さっているという事ですね。

なぜ、今、形に現れてきたのか?

その意味合いをしっかりと自分なりに考えて行くことが最も大切です。

自分の心の使い方通りに形に現れてくる。

これは、良い場合も悪い場合も、全く同じ理屈です。

筋道が通っていて間違っていない事であれば、基本的に、何かに困ることもないはずです。

自分の性分や癖でついつい出てしまう事もあると思います。

意識しないと自分では気づかないこともあります。

自分で気づかなくてはいけない何かがあるから、神様に手引きをしてもらているわけです。

ですから、身上・事情というものは、神様からのお知らせであるということになります。

今の、考え方・通り方が間違っているぞ。と、形を通して教えて下さっているんですね。

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身上・事情を通して感謝していく

なんで、自分だけこんな目に合わなくてはいけないのか・・・。

なんて思ってしまう時もあると思います。

天理教では、自分の心の使い方次第なので仕方ない事ではありますが、こういう時こそ不足をしてはいけません。

不足とは、解りやすく言うと嫌な気持ちになったり・不満に思うという事です。

結局、詰まるところは、自分の蒔いてきた種ですし、自分の今までの心遣いの結果です。

そこに気づかせてもらえた。ということに、もっとフォーカスしていかなくてはいけないということねのですが、これがそんなに簡単なことではありません。

しかし、心の片隅にすこしこういう気持ちを持っているのといないのとでは、先を考えた時に違ってくるのではないでしょうか。

自分が本当に苦しい状況になった時に、人は自分の無力さに気付きます。

それは、当たり前に今自分の目の前にあるものは、本当は自分の力ではなんとも出来ないものばかりなんだということに気づくということでもあるんではないでしょうか?

だからこそ、なぜ今この様な思いをしなくてはいけないのか。

自分の何が間違っていたのかを考える、気づかせてもらうチャンスでもあると思うんです。

私で例えてみると、私は、毎年、スギ花粉のアレルギーがかなり重症です。

重度の花粉症と診断されます。

鼻水・くしゃみ・目の痒み。

本当に苦しいです。

しかし、同じ様に毎日生活をしている家族や友人には全く症状が無い方もたくさんおられます。

本当に不思議です。

だからこそ、それぞれの心の使い方次第なんだと思います。

花粉症の症状で1番酷いのは、鼻水です。鼻が詰まって機能していません。

鼻というのは、匂いを嗅ぐ道具です。

人は、目で見て、次に匂いを嗅ぎ、変な匂いがしていないのを確認してから口に運びます。

そして、花粉症の鼻水というのは、外から花粉という異物が侵入してきたことに反応して外に出させる為に出てきます。

結局は、理屈は同じで、普通の使い方や、反応の仕方であれば問題ないわけですが、身上に出てくるということは、その思いが普通より強すぎるということです。

なにかあると、もしかしたら違うんじゃないかな。と疑う心。

自分が気に入らない事があれば過剰に反応してしまう心。

この心の使い方が、身体の同じ理屈で見事に現せていただきます。

また、不思議なことに、その年の花粉の量に比例せずに、症状が楽な年もあれば、酷い年もあります。

ただ単に、花粉症と思うのではなく、自分なりにこういう身上が形に現れるということは自分のどういう心の使い方が原因なのかということを考えなくてはいけんません。

それに気付き、心を入れ替えていくことが神様が本当に望まれている、親心として、気づいてほしいことなんだと思います。

なかなか、苦しい時に感謝するなんて非常識に思う方もいるかもしれませんが、気かせてもらえる有り難さ。

これがどれだけありがたいことなのかということに、まず気づいた人から変わっていくんだと思います。

人類なんて、気付きの御守護があってこそ、今まで進化してきています。

当たり前のことこそ、本当はすごく尊い事です。

何事においても感謝出来る心を持つことは素晴らしい事ですから、今日出来る感謝からスタートしてみてはいかがでしょうか。

天理教の教え④身上・事情(みじょう・じじょう)まとめ

身上・事情というのは、人間が生活している中で避けて通れないことです。

だからこそ、苦しい現実に直面したときにどう考えて心に納めるのかということがとても大切になってくると思います。

親神様は、【子供可愛い親心】で私達を見守って下さっています。

我が子を思う親心。

はたして、今親神様は自分になにを気づいて欲しいと思われているのでしょう。

よく考えて、天然自然の理屈に当てはめてみましょう。

筋が通った瞬間に、答えが見えてくるはずです。

身上・事情というのは、天理教の教えを理解する上でとても大切で、基礎になってくることです。

初めはなにもわからなくていいと思います。

私もまだまだ全然わかりません。

大事なのは、自分で考えていくことです。

そして、解らないことを教えて貰うために教会長さんがいてくれます。

すこしずつ、勉強していきながら少しでも成長していきましょう。

最後まで御覧頂き、有難うございました。

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