天理教の教え②【かしものかりもの】を解りやすく解説!

天理教 本部画像1 天理教の教え


天理教の教えで、最も肝心になってくるのが、

この「かしものかりもの」という教えであります。

天理教のお話を理解するのであれば、

「かしものかりもの」の意味をしっかり心に納めていないと、なかなか難しいと思います。

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教祖のお話の中にも、

めへめへの

みのうちよりのかりものを

しらずにいてハ

なにもわからん

自分達それぞれの

「身体」というものが神様からのかりものだということを

しらずにいては

なにもわからん

とあります。

それでは、かしものかりもの】とはどういうことなのかを考えていきましょう。

かしものかりものって何?


「かしものかりもの」とは、そのままの意味で問題ありません。

物を、貸している・借りている。

という状態のことですね。

では、何を貸している・借りている状態なのか?

天理教で使われる「かしものかりもの」の場合、まず基本になるのは、私達、人間の身体です。

「えっ、身体を借りているってどういう事?」

と思ってしまいますよね。

自分で動かせるし、そもそも生まれた時から自分の物ですからそう思って当然だと思います。

しかし、よく考えてみてください。
本当に自分のものならば全てにおいてコントロール出来るはずではないでしょうか?

なぜ、勝手に病気になるのでしょうか。
なぜ、身体が自分の言うことをきかない人がいるのでしょうか。

また、寝ているときでも

なぜ、心臓は勝手に動いているのでしょうか。
なぜ、無意識に呼吸ができるのでしょうか。

それは、身体は借りている道具のひとつだからというのが天理教の教えであります。

神様に、とても性能の良い身体を貸して頂いて、生かされているという事ですね。

借りている道具だから、使っている人間の、使い方通りの形になっていくということですね。

少し、難しい話になっていしまいましたが、
天理教では、自分達の身体は神様から貸してもらっているという教えなんだということだけ
覚えてもらえればいいんじゃないかなと思います。

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この世のほとんど全てのものは、神様からのかりもの


「この世のほとんど全てのものは、神様から借りているものなんだ。
だから、これからそう考えて生きていきなさい。」

そう言われてもいきなり無理ですよね。w

確かに、天理教の教えでは、この世のほとんど全てのものは神様から借りている、貸しものである。
という考え方で間違いないと思います。

しかし、その本当の意味や、もっともっと深い核心の部分まで理解し、心に納めるということは
私達のような生活を送っている者では出来ないと思います。

だからこそ、まずは、

「へぇ~そうなんだ!」で良いと思うんです。

でも、考え方のひとつとして、今目の前に当たり前にあるものを当たり前だと思わないだけでも見えてくる世界は確実に変わります。

自分が苦労せずに手に入れられる環境でも、必死に努力しても手に入れられない人もいます。

その差は何なのか。

目の前に、当たり前にある環境がどれだけ有り難い事なのか。

無い苦しみや苦労は、無い方にしかわかりません。

たとえ小さい事だと思う些細な瞬間でも、自分の力だけで達成することが出来るでしょうか。
その核心の、大事な所を考えていくと「かしものかりもの」というお言葉は、

非常に重く、深いなと感じます。

じゃあ、自分のものはなにも無いのか?

と思ってしまいますが、そんな事はありません。
次は、自分だけのものについて学んでいきましょう!

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かしものかりものではない、自分だけのものって何?


自分の身体、周りにある環境など、ほとんどのものは神様からの
「かりもの」ですが、

自分だけのものもあります。

それは、自分の「心」です。

自分の心だけは、誰が何を言おうが、一名一人(いちめいいちにん)本人だけのものです。

他の誰のものでもありません。

当然、使い方も全て自分次第でコントロール出来ます。

だからこそ、自分の心をどう使うのか。という事で全ての環境が変わってきます。

当然、自分の心の使い方次第で、借りている道具の状態も変わってきます。

周りの人間関係や、自分の身体、目の前に起こってくる問題など、人それぞれ違ってきます。

ですが、自分の自由に出来るからこそ心の使い方はとても難しい。

偉そうにこんな事を書いている私ですが、人様に自慢できる様な心の使い方なんて出来ていません。w

でも、私はそれで良いんだと思っています。

初めから完璧に出来る人なんていませんし、赤ん坊と同じように失敗しながら、頭を打ちながら、

何故、うまくいかなかったのか?
何処で、進み方を間違えたのか?

という事を自分の心で考えて、少しずつ成長していければ、こんなに有り難いことは無いと思っています。

物事は、大きく考えてしまうと本質が見えなくなってしまいますが、

難しい問題になればなるほど、核心の部分というのはシンプルなのではないでしょうか。

結局は、自分の心の使い方の問題なんだというところにたどり着くような気がします。

だからこそ、難しく、深いお話ではあるのですが、まず、自分の中で考えてみるということが、自分が成長していく中で大事になってくるんだと思わせて頂いております。

かしものかりものまとめ

なにか、物事を考えていくなかで
【かしものかりもの】という考え方は、全ての基準になってきます。

天理教の事をまだ全然知らない方であっても、普段の生活で、借りている道具をどう使うのかという点で考えれば、

また、乱暴に扱ったときに、その道具はどうなるのかという事を考えた時に、

物事の理屈は同じになってくるのではないでしょうか。

それが鉛筆であっても、自分の身体であっても結局は借り物で、自分の心の使い方次第なんだということですね。

「かしものかりもの」という教えは、天理教の教えで本当に大切になってくる考え方のひとつです。

偉大な先生方の著書のなかにも、

「かしものかりもの」の意味が心に収まらなければなにもわからん。

というお言葉はたくさん出てきています。

しかし、シンプルな事だからこそとても難しく、深いと思います。

物事の考え方や、見る角度の違い、本質を見る力などひとつの問題をとっても感じ方は人それぞれです。

でも結局、自分の物差しというものをしっかりと作っていく。

そして、理屈に合った、筋道の通った事だけを淡々とこなしていく。

これに尽きるんだと思います。

誰もがみんな、無難に苦労なく生活がしたいと思います。

「種を蒔いたら芽が出てくる」これは、自然の理屈通りです。

ならば、自分が貸して頂いている身体を使って

良い種を撒く蒔くのか?

悪い種を蒔くのか?

全ては、自分の心次第ではないでしょうか。

どんな時でも有り難いと思える心。

これがどれだけ素晴らしいか、日に日に感じさせてもらっています。

【かしものかりもの】という教えを通じて、
昨日よりも成長し、学びのきっかけになって頂けたら幸いです。

最後まで御覧頂き、有難うございました。

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